2009年1月30日

Google Mapで世界中の音を聞こう。

radio aporee ::: maps

Google Map上に、録音したサウンドを配置できるマッシュアップ。

↓赤い○をクリック


録音した音をアップすることもできる。

これ、ストリートビューと組み合わせたら、ホント家にいならがら、その場所にいる気分になれるなぁ。

2009年1月20日

「ニセ科学」という枠がニセ科学批判の足枷になっているのかも

ニセ科学の根絶を目指している?

 ところで僕が気になっているのは、疑似/ニセ科学批判批判で時々見かける、「そんなやり方じゃ疑似/ニセ科学は無くならないよ」というような文言。僕の知る限りでは、そんなことを直接の目標として掲げている、ニセ科学批判をしている人っていないような気がするのですが、いかがでしょうか?

 そもそも下のまとめサイトを見てもらえればわかるように、ニセ科学批判をする動機からして人それぞれなので「ニセ科学批判者」をひとまとめにして論じること自体が無理があると思いますし、

「ニセ科学」という大きな枠で括ってしまったために、「沢山ある中から、なぜそれを選んだの?」という"選択に対する疑問"を受け手に与えてしまうんじゃないか? と思った。


ニセ科学批判という物の一番難しいところは、"批判することの重要性"になかなか共感してもらえないことだと思う。
(一番やっかいなのは「批判されているのは知っているけど別にそのくらいいいんじゃないの?」という反応じゃないかな。血液型性格判断なんかはその典型)

ひとつひとつを個別に批判しても、その重要性はなかなか伝わりづらいものだけど、それを"ニセ科学"という枠で括ってしまったがゆえに、「他にもっとヤバイもんが沢山あるのに、何でそれにこだわるの?」とか「『ニセ科学は問題だ!』 っいいながら『でも、ニセ科学は無くせないよね』って思ってるんでしょ? じゃぁ、別にほっとけばいいんじゃないの?」とか思われてしまう。

さらに、「ニセ科学」という枠を作ってしまったがゆえに、個別に批判していた人たちも「ニセ科学を批判している人」という枠で括られてしまって、個々の"これを批判しなくてはならない"と考える重要性が逆に伝わりづらいのかもね。

批判するものを一括りにすると、批判する側も一括りにされてしまうという副作用があるのかも知れない。


【余談】
まぁ、前にも書いたけど一括りにされることの問題は、個別に「ガチでそれはヤバイだろう」と思うことを批判するときに、「いや血液型性格判断とかマイナスイオンとかさ、別になにからなにまで全部否定したり批判するつもりはないんだけど……でも、"それ"はやっぱり問題だと思うんだよ」という回りくどい言い方をしないと、伝わらなくなるのが億劫かなぁ。

2009年1月14日

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2009年1月7日

VOCALOIDでもう一度夢を見たい

去年は、ニコニコでボカロのオリジナル曲ばっかり聴いてた気がする。

そんなわけで、個人的には十分楽しんだのだけれど、全体としてみるとVOCALOIDブームもだいぶ落ち着いてしまった感があるよね。

まぁ、CDが発売されたりとか、ニコニコで沢山の派生動画が生まれたりとか、局地的には結構いろいろ盛り上がったと思うのだけれど、初音ミクが発売された当初の「コレによって、なんかすごい変化が起きるんじゃないか?!」的な熱気も、かなりクールダウン。

個人的には、「前評判程の事は起きなかったなぁ」って感じ。

で、そんな中VOCALOID2の新作が発売されるというニュースが。

VOCALOID2第三弾、巡音ルカ



う~ん、どうなんだろうね。

以前、「鏡音リンは初音ミク程には売れないだろうなぁ」って記事を書いたことがあるけれど、それは"熱にあてられて、初音ミクを買ったはいいけど、使いこなせなくて挫折した"って人は鏡音リンを買わないだろうし、かといって初音ミクに手を出さなかった人を惹きつけるほどの魅力もないしなぁ、と思ったからなんだけど……今回も、そんな感じ。

まぁ、ほどほどには売れるんだろうけど。

何かが起きそうな可能性みたいのは、あんまり期待できないかなぁ、なんて思ったり。

ただ、ちょっと気になったのが以下。


本作では、初の試みとして日本語と英語の2つの音声データベースを搭載。総容量3GB以上にも及ぶ、バイリンガル女性シンガーとなっています。

いっそのこと、インタフェースも英語にして、海外からでも買えるようにダウンロード販売とかしたらいいんじゃないかなぁ。
(まぁ、3GB以上もあるソフトをダウンロード販売ってのはムチャだけど)

YouTubeのコメント欄とか見ると、「ウチの国でも売ってくれ」って書き込んでる人、結構いたし。

国内の作り手は結構出揃った感があるので、海外で新たな作り手が沢山出てくると、もう一波おきそうな気がするんだけどな。

2009年1月6日

血液型性格判断に終止符を打つ方法を考えてみた。

去年はなんか、血液型ブームだったらしい。

話題の「*型 自分の説明書」って読んでみたんだけど、あれ、とりあえず「あるあるネタ」が秀逸でなかなか面白かった。

なるほど、売れるわけだねって思たよ。

で、以下の記事を読んでちょっと考えた。

血液型ブームだったらしい昨年について、猛省を求めたい・・誰にともなく

血液型性格判断肯定の論理は基本的にでたらめなのです。そういうでたらめな論理が一般に受け入れられる理由を考えるべきかもしれません。


確かに下火になっても、いつの間にかブーム復活してたりするよね、血液型性格判断。

分類したい、グループ分けしてカテゴライズしたい。

自分はどこに属するのか、あの人はどれに属するのか、そんなことを考えてしまうのは、人間のサガなのかもね。

あと、血液ってものに対してどこか神秘的なものを感じてしまう文化ってのがあると思う。

他の国はどうなのかしらんけど。

で、この何度でも甦る血液型判断ってのもに終止符を打つ方法ってのを考えてみた。


……教えなきゃいいんじゃね? 血液型を医者が、親が。

そもそも、血液型ってのを本人が知っている必要ってないと思うんだけど。

輸血の時だって医者が調べるんだろうし。

正直、「自分の血液型が何か?」なんて情報は必要ないと思うんだけど、なぜか皆知っているんだよね。

私も、いつの間にか自分の血液型ってのを知ってた。
(誰に教えてもらったんだろう)

「自分の血液型なんて知っていて当たり前」なんていう常識があるから、「○○君って血液型何型?」なんて質問が成り立つわけで。

自分の血液型なんて知らないってのが常識になれば、血液型性格判断も自然消滅すると思う。

なんで、「血液型性格判断が流行するのは問題だ」と思う人は、まず自分の子供とかに血液型を知らせないようにするってのがいいんじゃないかな?

そうやっていけば、そのうち「若者の血液型離れ」みたいな現象が起きて、「最近の若者は自分の血液型も知らない」みたいな記事が毎日新聞辺りに載ったりするようになるかもよ?


あと、しらずしらずのうちに血液というものを特別視している傾向があると思うのですよ。

たとえば、以下のような言葉。

「血縁」「血族」「血の繋がった○○」

これって、よくよく考えるとちょっと変な言葉だよね。

なぜ、家族の関係性を表すのに、血液を特別な象徴的なものとして扱うのか。

まぁ、他に適切な言葉も見つからないんだけどさ。

でも、とりあず、

「○○君って兄弟いるの?」

って聞かれたら、

「遺伝子の繋がらない弟が一人いるよ」

と答えるとか(笑)

そんな地味な努力をみんなで続けて行けば、血液型性格判断ってのに終止符が打てるんじゃないか、なんて思った。

どうかな?

まぁ、根本的な解決にはならんけどね。

プログラマと宗教

「人類最大の敵」 - 書評 - 人類は「宗教」に勝てるか

一神教は、滅ぼされるべきである。いや、「滅ぼされる」のはあまりに一神教的な考えだ。弱毒化の後、風化していくべきである。

ここまで言い切るのは、すっごいなぁ~。

キリスト教会の宣教師として活動していたこともある、「まつもとゆきひろ」さん(Rubyの開発者)の意見とか聞いてみたい。

ところで、YukiWikiの開発者でデザインパターンに関する良書を沢山執筆している「結城浩」さんもプロテスタントの教徒だし、

海外だと、

Perl開発者の「ラリー・ウォール」とか、文芸的プログラミングの「ドナルド・エルビン・クヌース」とかもキリスト教徒だし、有名なプログラマにはキリスト教徒の方が結構いるけど……そこら辺、弾さんは、なんか思うところでもあったんだろうか?


【余談】
ところで、ぜんっぜん関係ないけれど、結城浩さん原作の「数学ガール」のコミック版を買いました。

漫画で数式を読むってのは、結構新鮮な感覚で、お勧めです。